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【二念継ぎ】を観る

【私達(アバター・Aの世界)】の意識上に存在する仮想世界で何が起きているのでしょうか?


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【二念継ぎ】を観る

【私達(アバター・Aの世界)】の意識上に存在する仮想世界で何が起きているのでしょうか?


【私達(アバター・Aの世界)】は何かを射程範囲内に捉えると仮想世界という意識上で一体何が起きているのかを今回は覗いて観たいと想います。

【皆様(アバター・Aの世界)】にとって何かの気付きやヒントになれば幸いに想います。
この章において当ホームページ【現実と人生のカラクリ】での各章へのリンクにも絡む部分なので何とか言語化して綴ってみますので少々御付き合い下さい。


それでは始めます。


【私達(アバター・Aの世界)】【現実世界(アバター・Aの世界)】では常に【自分自身(アバター・Aの世界)】の中に起きている事が隅から隅まで把握出来ているとは考え難く、しかもその起源(←ココではその始めの根底と捉えて下さい)を完全に理解掌握している方は一握りだと事実上伺えます。

何故なら【その根底】や【ルーツ(起源や大元)】が理解掌握している時点でその【情報プログラム(以下プログラムをPRGと明記)】からは完全に隔離され扱いのホスト(主権者の意)は【PRG】ではなく常にその存在を認識している【自分自身(アバター・Aの世界)】に帰属するからです。

1つ例を挙げるならばこの情報を閲覧されている【皆様(アバター・Aの世界)】は記事を読んでいますが閲覧の権限は当然【皆様(アバター・Aの世界)】に在ります。
ですが、もしこのサイトをパスワードロックを施してしまえば【権限レベル】という観方をするならば【パスワードを知る者】が閲覧の権限を持つ事と成る訳です。

しかし、知らない方々も【パスワード】を知れば【閲覧の権限を持つ】事になります。

つまり【理解掌握】をすると言う事は言わば【権限を持つ】という事なのです。
身近なものではキャッシュカードやクレジットカードの【暗証番号】等の例に置き換えると解ると想いますが、幾ら【自分自身(アバター・Aの世界)】の所有するもので在っても【パスワード】や【暗証番号】を忘れてしまえば【権限(ホスト)】を失うも同然となり使用が出来なくなります。

しかし、それさえ【理解掌握(ココでは覚えていると御考え下さい)】していれば所有する価値や財産等は自由に扱えるという寸法です。


この分野が意識上に置き換えられると言語が変化し【気付き】というキーワードを使う様になります。
それだけ【気付き】と言うのは奥が深く、ある種の【奥義】であり【極み】に属す【鍵】の様な存在なのです。

【本来の自分(純粋意識・Bの世界)】と言うのは【現実世界(アバター・Aの世界)】という仮想空間に【自分自身(アバター・Aの世界)】で【ある種の枷】という【不自由】を設定し時を歩む中で一つ一つ【気付き】を得ながら(実際には【想い出しながら】が正しい。)自由という場所に還る喜びを体験する為に大掛かりなアトラクションをプレイしているものなのです。


さて…上記を踏まえた上で話を始めに戻します。


【私達(アバター・Aの世界)】はその【人生】というアトラクションを【ある種の一時的忘却状態】で【この世(アバター・Aの世界)】に生きています。

その際に成長過程で【ある種の枷】をシッカリと培って成長して行きます。
この【ある種の枷】とは【仮想空間での情報処理能力及び効率的思考能力】を徐々に進化・成長をさせて行くのです。

ちなみにココでは再々出て来ますが常に【善/悪】【貴/賎】【美/醜】【正/誤】【難/易】【長/短】【明/暗】【高/低】【麗/汚】【優/劣】な価値観を一切持ち込まないで熟読されて下さい。

価値観の元で情報を閲覧すると【私達(アバター・Aの世界)】は何も考えずとも普段の思考ルーチン上で必ず情報取得に【歪み】を発生させて偏った情報を取得して蓄積してしまいます。


【私達(アバター・Aの世界)】はこの【仮想空間上での内部処理】に長ける事で効率化と安全性を同居し進化効率を常に促して来ました。

ですがその【思考ルーチン】すら万能ではありません。
何故なら袋小路に迷い込むと偏りが偏りを呼ぶ事で【PRG】がマクロ化してしまう場合も在ります。

再度言いますがコレは【善/悪】【貴/賎】【美/醜】【正/誤】【難/易】【長/短】【明/暗】【高/低】【麗/汚】【優/劣】という意味ではありません。

システム上の説明になりますので常に念頭に置いて熟読されて下さい。


そこに【感情】という定着媒体が付加されると【その傾向に拍車が掛かる】という特徴がありります。

そして【私達(アバター・Aの世界)】は仮想空間内にある【差】に対する【意味付け】を行い、そして別枠に【PRG】を組み上げ始めます。


コレをシステム上の説明として以下について少し深く言語化し綴って観ます。


【私達(アバター・Aの世界)】は【時間概念】を採用しています。
そこで【過去】や【未来】という【概念・観念】を湧き立たせています。

この【湧き立たせている】という表現はとても的確に捉えた観方で別章【忍耐を通り越した先にあるもの】に記載した通り【私達(アバター・Aの世界)】の意識下にて絶えず【現実現象(アバター・Aの世界)】を創っています。

その想像したものは多岐に渡り【私達(アバター・Aの世界)】を虜にしています。



その多岐の部分には【仮想現実(アバター・Aの世界)】(※実際には【現実世界(アバター・Aの世界)】もその一つなのですが)という【過去】や【未来】にも見事に想像を創造へ作り変えてしまう程なのです。

そこで【私達(アバター・Aの世界)】は【ある種の出来事】を作り上げてしまいます。


それが【ギャップによる意味付け】です。


以下の図を御参照下さい。



【私達(アバター・Aの世界)】は通り過ぎた【過去】に対しても、これから体験する【未来】に対しても何かしら【差】を【仮想現実(アバター・Aの世界)】という空間に再現し吟味してしまいます。

そこで【各人各様(アバター・Aの世界)】の培い蓄積して来た【体験】+【感情】からなる偏った観方を行い投影(重ね合わせも含め)何らかの解釈をして【仮想現実(アバター・Aの世界)】の空間で再体験(過去)や予備体験(未来)をしてしまいます。

ですが面白い事に殆どの方が【頭では解っていても腹で解っていない事】があるのです。
それは多く存在するのですが解り易い事を2つ挙げさせて頂きますと…

@ 全て【仮想現実(アバター・Aの世界)】の中で発生した事で在る事。
A 全て【自分自身(アバター・Aの世界)】の察知可能な能力範囲での想像&創造の産物で在る事。


ココに気付く方は殆ど居られません。

順に説明して行きます。

@に関しては【私達(アバター・Aの世界)】の人類史上での一番発達して来た能力に準じて、この【仮想現実(アバター・Aの世界)】における可能性を最も高い順に【再生(過去)】・【想像(未来)】を映し出せる事で生命頂点を極める結果と成り、それが優れた能力である事を疑いもしません。

ですが実際に【あくまで可能性の確率】という部分においては【非常に少数派の可能性】という限り無く少ない【可能性の確率】、そしてその範疇外の部分の所には重きを置かないのが【私達(アバター・Aの世界)】の錯覚という仕組みを観抜けない盲点になります。

この件に関しては【確率論】に長けた方なら凄く理解に容易で在りましょうが、突き詰めて行けば【現実世界(アバター・Aの世界)】では全てにおいて【可能性】という確率全てに重きを置くと、如何様にも解釈の幅や範囲が自在に変化する事が解る様になります。

実際には【私達(アバター・Aの世界)】の知り得る範囲外での可能性はとても低く見積もられてしまいそうですがパターン数から観れば如何に膨大な可能性なのかは【私達(アバター・Aの世界)】の人知を遥かに超えています。

ある種、数学分野を突き詰めて行く事で【私達(アバター・Aの世界)】【現実世界(アバター・Aの世界)】の仕組みを垣間見る数学者はあらゆる文献でその言葉を随所に残されているのはこの為です。


Aに関しては客観的に観ると一目瞭然なのですが何分にも【私達(アバター・Aの世界)】は【善/悪】【貴/賎】【美/醜】【正/誤】【難/易】【長/短】【明/暗】【高/低】【麗/汚】【優/劣】を以って【現実世界(アバター・Aの世界)】を比較し分析、そして解釈さえもそのレンズを通して観てしまうので【ある種の意識下を把握しながら観る】事をしながら進めなくてはなりません。

さて、上記を踏まえた上で【【自分自身(アバター・Aの世界)】の察知可能な能力範囲での想像&創造の産物である事】と謳いましたが何を言っているのかと申しますと…


【私達(アバター・Aの世界)】【自分自身(アバター・Aの世界)】が得た情報や体験の全てが基礎的に応用され、またその範疇でしか判断出来ない…という事です。

これは別章【センサー】にも触れていますが、【私達(アバター・Aの世界)】は歩んで来た人生経験上の事しか察知や判断が出来ません。

仮に取得情報も【仮想空間(アバター・Aの世界)】で組み上げ、それと無しに【解った気に成っても】実際には余程意識しないと察知出来ません。


例を挙げればキリが無いのですが、特に【現実世界(アバター・Aの世界)】では救助訓練等がとても参考に成る例で幾ら数回訓練を受けていても人命をいざ救う場面に出くわしても【失敗の可能性】が過って行動に移せない事は多く在ります。

その為、人命救助は訓練回数を段違いに行った救命訓練者が躊躇無く行えるのは当然なのです。




以上を踏まえた上で上図の部分を観て観ましょう。
すると過去や未来を【仮想現実(アバター・Aの世界)】上で展開すると【ある種の偏り】に気付く事が解ると想います。

それは【自分自身(アバター・Aの世界)】の判断出来る【範疇・予想】の範囲で【仮想現実(アバター・Aの世界)】を構築していると言う事が…。

そして【過去】や【未来】において同じ時系列を近づける事でギャップが解消されて【あくまで予想を外れる】事も事実【私達(アバター・Aの世界)】は経験する事もありますし、逆に【その時系列に近付けば近付く程に一番可能性が容易に想像・創造出来る事を体験する】事を経験する事も事実在ります。


この様な表現に成るのは【私達各人各様(アバター・Aの世界)】の深層部分を覗けば如何に過去や未来が【偏った主幹で判断し、そこにどの様な感情で固定しているのか?】がハッキリ解るのです。

この部分を押さえて置かなければ必ず【文句】が出て来る運びと成ります。
それは【占い】や【予言】の類に花が咲く討論番組等がとても代表的な例に挙げられますが、そもそも【私達(アバター・Aの世界)】が生きている【現実世界(アバター・Aの世界)】とは【各人各様(アバター・Aの世界)】の【単一(唯一)世界】の参加型のものなので、参加したコミュニティの尺度や質に同一化した事でこの手の論争は起こる事に気付かない程、【私達(アバター・Aの世界)】【現実世界(アバター・Aの世界)】は魅力的なものなのです。

ちなみに参加型の世界という部分においては別章【自分と他人の世界は…】を御参照下さい。


さて、【私達(アバター・Aの世界)】は【過去】や【未来】に【何を観ている】のでしょうか?


そして何時如何なる時でもその【仮想世界(アバター・Aの世界)】は常に形や評価は変わる前提に措いても常に気がかりで成りません。

過去においても現時間軸に目の当たりにする身近な例では同窓会であらゆる価値観が変化し、ちょっとしたトラウマや憧れ等はアッと言う間に評価や価値が一変する御経験もされた事もあるでしょう。

子供の頃に描いた未来予想図は現代が追いついて同じ時系列において【皆様各人各様(アバター・Aの世界)】は如何に判断されたでしょうか?

結局の所、【仮想現実(アバター・Aの世界)】であれ【現時系列現実(アバター・Aの世界)】であれ評価や価値観での判定は【各個人個人(アバター・Aの世界)】の意識の範疇に委ねられています。

つまり悩みも希望も【形を変えるもの】と認識する事なのです。
そこで唯一、変化しないものとは何なのでしょうか?

それは【自分自身(アバター・Aの世界)】の意識世界の【存在】です。
【私達(純粋意識・Bの世界)】【コレ(アバター・Aの世界)】を【手の込んだ遊び場】として【体験】したいが為に【本当の自分(純粋意識・Bの世界)】を【体験者】にする為に【自分自身(アバター・Aの世界)】となりあらゆる【仮想現実を含めた現実世界(アバター・Aの世界)】でトライしている状態なのです。



とある1つの【存在】を観ても【それそのもの】を1度観た時から【私達(アバター・Aの世界)】は【それそのもの】に関する事をヒタスラ観(み)続け【現実(アバター・Aの世界)】【仮想現実(アバター・Aの世界)】内に【それそのもの】に関するシュミレートを【自分自身(アバター・Aの世界)】の【範疇内】で把握出来る限りの事を展開して行きます。

そこに潜むのは【5つの欲求】から成る【コントロール欲求】や反対に望まない部分での【拒否・抵抗】の壁が観え隠れしています。

ですが今一度、【現時系列】での立ち位置を静かに観定めるとそこには【静寂】が常に存在します。
それだけ【私達(アバター・Aの世界)】は忘我の状態であると言えるのです。

常に何かを抱き・望み・拒否し・恐怖する。
過ぎ去った事や未だ起こらぬ事を【自分自身(アバター・Aの世界)】の経験値を元に可能な限り予想構築し【仮想現実(アバター・Aの世界)】に映し出して判断しソレを常に大事にしています。

時にその【仮想現実(アバター・Aの世界)】で拵えたものとの【付き合い方】に過熱感を帯過ぎると返って憤りを感じる事は現代病として認知されていますがそれらは全て【私達各人各様(アバター・Aの世界)】の参加構築した【個人個人の現実(アバター・Aの世界)】に起こっている事なので静かにソレを観れば他愛も無い些細な偏りだと認識出来る様になります。


古人達はそれらをとても的確に捉えた諺で残しています。


【塞翁が馬(さいおうがうま)】…と。



【私達(アバター・Aの世界)】は如何に【自分自身(アバター・Aの世界)】の価値観や世界観の中で予想能力の最大値範囲内で【仮想現実(アバター・Aの世界)】を観ているのかに気付く事で少しずつ意識してノイズを解消する事も選択する事も出来る様になります。

そうする事により別種の【センサー】も発生し磨かれる事に成り、別角度からの情報も非常に得易くなる事に成るでしょう。

昔はある程度、場数踏まれたり・御経験を積み過ぎる状態になったり・年齢を召されると野心や他人との比較基準を採用しなくなったりする事で自由に還られる方々が多かった緩やかな御長寿世代の方々にアドバイスを訊く事も多かった時代もありましたが、現代では非常に混沌とした世知辛い流れに眼を奪われがちです。

それも仕方の無い事なのです。
何せ現代は【効率化】を重視される為、一般的に【無駄】を嫌います。
しかし、【私達(アバター・Aの世界)】人間と言う不可思議な生き物は【体験】を目的として【この世(アバター・Aの世界)】に参加して来ていますので、どうしても【枠】を拡げ自由に還るには【無駄】を含めた場数や経験を踏まなければなりません。

そこに【二念】を越えて行く【ヒント】であり【答え】が必ずあります。
【二念】に足を絡め取られ身動きが取れない方々はこの部分に気付く事で【自分自身(アバター・Aの世界)】に巻き付いている【鎖】は【解(ほど)ける】事に心底体験する事でしょう。

古来から【二念】という存在に【毒がある】と認識されていました。
選択肢が少ない昭和前期では【二念】を抱く所か【今日を生き抜く】事で必死だった時代には【一念】という本当に目の前に必死だった時代だそうです。



そして昭和中期では【やればやるほど】【すればするほど】に報われる時代だった為に努力は報われるという時代が存在した為にギャップに対する【重み】が感じられないという【トライ】意識に対してとても希望溢れる時代でした。

しかし、現代という社会においてその時代とは打って変わって【選択肢】が大変多く、情報端末も最先端であり最も身近になった部分で言えば非常に【二念】を継ぎ易く、一つの手段を極める前に【悩み】【疑念を抱き】【別の手段を模索し】という一貫性の取り難い時代でもあります。

そんな中で非常に【耐える】【極める】【集中する】という【一貫性とも言うべきスキル】が今後先には習得する最も有効な手段に成り得るのは間違いないでしょう。
このスキルを習得する事で実力を付け、次第に自由度が増す御経験をされる事でしょう。

そして何時如何なる時代や場面においても【選択】権を持つのは常に【外】ではありません。
その確固たる理由は【私達(アバター・Aの世界)】の主軸にあるのは常に【体験者】という確固たる立場が在るからです。

そして何時如何なる時代や場面においても【選択】し【存在している】のは【本当の自分(純粋意識・Bの世界)】からのギフトであり意志なのだと言う事と常に【選択】権は【内】に在ると気付く事が大切なのです。

また同時に【自分自身(アバター・Aの世界)】の中で起こる【二念】を観定める為に別章【心と意識の洗濯】も同時に御参照下さい。


この章で何かしら【皆様(アバター・Aの世界)】への気付きがあれば幸いに想います。


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